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Case&Voice

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事例&皆さまの声

家庭の引っ越しにより不登校になったが、今はコンピューター関係の専門学校生

Yさん(男性・20代)

■業務内容

専門学校生(コンピューター関係)

■障害名

適応障害(障害者手帳なし)

家庭の引っ越しにより不登校になったが、今はコンピューター関係の専門学校生

家族の引っ越しにより転々として、中学入学後不登校に

不登校になる前はとても明るく元気ではあったが、家族の都合で引っ越しで転々とし、少しずつ元気がなくなり、少しずつ休みが増えて不登校になる。

諦めていたという親からの相談

自宅では多少の会話もあり、夕方には外出も多く生活自体が安定した事で安心していたものの、卒業が近くなったことで学力、友人関係、等これからの不安が親が大きくなり、本人は話題を避ける等少しずつ不安が大きくなってきてから専門家(ふらっぷ)の相談を開始する。

1回15分の面談が、半年ほどで1回1時間ほどに変化

当初は1~2か月に1回15分程度の面談のみで15分弱程度の話しだったが、半年程経過し、2週間で1回1時間ほどの面談をするようになる。
発達障害も家族、本人ともに考えていはいたものの、手帳取得や制度活用はしたくないという希望があり、勉強については独学で進める。高校に入学後本人への支援は保留として母との定期的な面談のみとなる。
高校入学当初はモチベーションも高く取り組めていたが、2年進級時から不登校となる。
本人への支援は結果的には母との話があり、高校を辞める事が決まってからの再開となる。高校卒業ぐらいはしたいという事、何がダメかよくわからないものの、支援を受ける必要性があると考えが変わり、通院調整、通信制高校への編入と合わせてふらっぷの利用を開始する。通信制高校は結果としては勉強が嫌になったという事等から高校2年単位修了を待って退学する。
ふらっぷでの訓練のみとなってからは週3日利用され、自己分析や将来の経済的自立を目標に通所され、半年程度の利用後3か月の企業実習を経て就職する。

支援者の視点・声

不登校時、家庭内での暴力、暴言、物を壊す等家族以外の接点が少なかったことや、社会参加と呼べるものがなかったこと、発達障害自体に抵抗があり通院はしなかったなどで、本人と家族の希望から計画し、就職に至った。自己分析や医療との連携、これからの事を考えた事で進めるが、希望を優先として支援を実施。現在はやりたいことが見つかったという事で離職、パソコン系の専門学校に通っている。

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