Case&Voice
事例&皆さまの声
小3から不登校だが、難関大学入学後、公務員になる
Yさん(男性・20代)
■業務内容
公務員・事務職
■障害名
発達障害(注意欠陥多動障害(ADHD)/双極性障害(躁うつ病)/自閉症)
小3から体形や学力でいじめを受け、不登校
Yさんは、小学校3年生の頃より、体形・学力などを理由としていじめを受けるなどして不登校に。社会福祉協議会内の適応指導教室にも行くことが出来ず、自宅で過ごす。ストレスなどから更に肥満がすすみ、主治医からも健康上の指摘を受け、入院などの話もあった。卒業後も、不登校のまま地元の中学校へ。不登校から3か月程度経った頃から、家族が児童福祉関係に勤めていたこともあり、様々な制度やカウンセリングなど活用するものの、大きな変化は見られなかった。
大人になった時にやりたいことを見出す
中学校入学時も変わらず、あきらめかけていたことがあったが、適応指導教室の中学生担当との出会いから大きな変化へ。今どうするか、どうしたいかのみではなく、大人になったとき、好きなこと、やりたいことなど、学校と直接関係のないようなことなども含めて話して、中学校1年半ばごろより毎日適応指導教室に通うようになる。 この間、水泳(週2日~)を提案され、中学卒業時に終わるまで通い続ける(5日/W)。適応指導教室内でも担当の先生のみとしか話しができないものの、水泳の仲間では友人が増えてくる。
難関大学に入学後、公務員になる
高校は進学校の特待生として入学することができ、難関大学に一発で合格、希望の職種ではないものの、公務員に就職し、結婚、現在に至る。
支援者の視点・声
中学校3年時より関わり、現在は年数回の挨拶程度になっている。 当初はメール相談から入り、定期的な面談を行う。ライフプランや「義務教育」という枠ではなく、やりたいことをやる、他者や一般論ではなく、自分に必要なことを考えるなどの観点から連携して進める。 学校との関係が、どのように学校に来てもらうか、学校への印象をどのように変えていくのか、など本人よりも学校の立場からの考えが強かったが、本人の話しを聞くこと、興味があることから将来を考えるなどを行い、スムーズに勧めることができた。 適応指導教室ではあったが、殆ど自分専用の専任の先生という印象で、いい意味で「特別扱い(個別対応)」されたことで、自分に素直になることができて、言いたいこともいうことができ、指摘に対しても素直に反抗でき、素直に反省できた。自分の話しを聞くだけではなく、実際に動いていくことができたのが良かった。